女性シンガー評価…超個人的主観…

May j.さんは歌が上手いと思っていますが、実際はどうなの?から始まりました。私の個人的な主観で女性歌手を評価するブログです。マイナーだけど生歌が上手い歌手を見つける事に喜びを感じています。

「歌唱力」や「表現力」について考える。

歌って聴きたいか、聴きたくないかが唯一の評価だと思っています。

 

世間での評価は多数決で決められると思いますが、個人の評価は世間の評価とは無関係です。

 

全般に言える事ですが、評価の押し付けや否定などはいらないです。

好きか嫌いかは完全に自由です…他者を傷つける表現は除きますけど。

 

そこで本題です。

「歌唱力」とは?「表現力」とは何?

かなり漠然ですが考えています。

 

ちなみに私はこの「表現力」なるものは良く分かりません。

最近、いろいろ聴き比べしている中で、植村花菜さんの「トイレの神様を久々聴いたら涙があふれてきました。


トイレの神様(in小樽)/植村花菜

 

トイレの神様

トイレの神様

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若い頃なら涙を流すことはなかったと思いますが、年齢を重ねる毎に自分の心境も変わり、同じ曲を聴いてこの曲の感じ方も大分変りました。

そして申し訳ないですが、植村花子さんの他の楽曲には何も感じませんでした。

つまりは、同じ一人の人間でも、年齢や状況や曲が変われば感じ方が変わる、という事です。

他人ともなればなおさらで、ある一人の歌手に「表現力がある」と感じるかどうかも、各個人の主観でとてもあいまいです。

ただ、植村花菜さんの「トイレの神様」を聴いて、感動して涙が流れてきた事が、事実としてあります。

別な人が同じ曲を歌ったらどうなるのでしょうか?

同じく私は感動できるのでしょうか?

これは予想の話ですが…仮に「表現力が高い」と言われる別な人が歌っても、植村花菜さんが歌った時のようにはならない、と感じています。

トイレの神様」という歌の、詞と曲と歌声がマッチしてこその完成度だと思いますので、歌手個人の表現力云々という話ではないように感じます。

 

では、「歌唱力」はどうかというと、以前は絶対的なものかと思っていました。

歌唱力のある・なしなら、より多くの人と共感できるのではないかと思っていました。

しかし、それも違うようです。

人によって判断基準が異なり、人それぞれです。

 

私は音楽に関しては知識がないので技術的な事は分かりませんが、歌唱力に関しては私なりの判断基準があります。ただ、他者にはそんな事はどうでもよいでしょう。

私は、響きが…ファルセットが…発声が…ビブラートが…とかよく分かりませんし、ただの要素なので、私の判断基準に沿って「上手い」と思わせてくれる事、それを「歌唱力がある」と判断しています。

でも、この判断基準も自分の主観です。

 

また、編集した音源では、声もあくまで楽器の一つとして捉えていて、編集技術も含めて総合的に作品として良いかどうか、で判断します。

音源では編集可能な為、歌唱力よりも今度は「声質」が重要で、音源の良し悪しに絡んできます。

 

だからこそ「歌は上手さじゃない」ってところにつながっていくのでしょう。

 

kmm295.hatenablog.com

 

それでは「歌唱力」はそこまで必要ないかというと、そうは思いません。

音源には音源の良さ、生歌には生歌の良さがあり、ライブで歌う為には歌唱力は必要だと思っています。

歌を安心して聴けるからこそ、詞をしっかり聴けます。

高い歌唱力がより感動を増幅してくれます。

 

歌手はその歌唱力で、自身の歌声と歌詞を曲に乗せて、観客に届ける。

 

「歌詞」と「曲」と「歌手」の相性がどうかという話で、相性が良ければ「表現力が高い」、悪ければそうではない…そういう話になるのかな、と思うようになってきました。

 

一つの曲は全てを総合しての表現だという結論です。 

歌唱力も声質も曲と詞との相性が合ってこそ、でしょう。

 

最終的に聴きたいか、聴きたくないかという最初の話に戻っていくのだと思います。

歌唱力も、表現力も、絶対的なものではなく、相対的なもので、だからこそ奥深くて難しくて、だからこそ歌は人を魅了するのでしょう。

 

歌唱力は表現する為の手段の一つ、表現力は曲と詞と歌手の総合点というのが私の結論です。